2021-06-01 第204回国会 衆議院 環境委員会 第13号
ここはやはり、遠くミッドウェーに流れ着いて、鳥とかいろいろなものが食べていて、結構日本から流れ着いているという有名な海ごみになっているので、こういったものの強化は都道府県任せにせず、環境省としてもしっかり取り組むべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。
ここはやはり、遠くミッドウェーに流れ着いて、鳥とかいろいろなものが食べていて、結構日本から流れ着いているという有名な海ごみになっているので、こういったものの強化は都道府県任せにせず、環境省としてもしっかり取り組むべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。
○玉木議員 かなり、最近は結構皆さんの努力があって減ってきてはいるものの、先ほど申し上げたように遠くはミッドウェー、ハワイ、アラスカなどにも流れていて、ミッドウェーで子育てしているコアホウドリの死んだひなのおなかからカキのパイプが出てきたということもあるので、ここは是非引き続き、国としてもガイドラインなんかを出すなり、是非積極的に取り組んでいっていただきたいなと思います。
その最初の失敗が実はミッドウェーの海戦であったのではないだろうか。その前の年の十二月に真珠湾、パールハーバーへ行って、それから翌年の六月ですから、まさにここが一つの分かれ目になって、そして、日本はそこからだんだんだんだん敗戦に、道をひた走っていったのではないだろうかと思っているわけであります。
○麻生国務大臣 いやあ、ミッドウェーが出てきてたまげましたけれども。ミッドウェーって知っていますか、この中の人。本当に、ほとんど知っている人、おられませんけれども。 海軍記念館に、アメリカの海軍記念館というのがアナポリスというところにあるんですけれども、あそこへ行くと、ミッドウェーの海戦はアメリカの敗戦ということになっているというのは御存じですか。
この乗艦した「かが」は、ミッドウェー海戦において沈没した当時の日本海軍の最高レベルの正規空母「加賀」と同じ名前ですが、何と両艦の長さが二百四十八メートル、ぴったり、全く一緒なんですよ。調べていてびっくりしました。防衛大臣、まさかわざと同じ寸法にしたんじゃないでしょうね、お答えください。
特に、一九八二年から厚木基地において空母ミッドウェー艦載機による夜間離着陸訓練、NLPが始められ、騒音は一層激化しました。そのために、県と周辺自治体は騒音解消についての要請を国や米側に繰り返し行ってきております。
昭和十七年半ばから、ミッドウェーの後、ガダルカナルの戦い、それと同時に東部ニューギニア、ポートモレスビー奪還作戦というのがありまして、私のふるさと高知の連隊を中心にした南海支隊という部隊が行って、高知だけでも三千三百名がほとんど餓死ですよ、ニューギニアの東部で。ガダルカナルの戦いも同じように補給が続かずに餓島と、飢餓の餓、餓島と言われましたよね。
空母ミッドウェーが横須賀を事実上の母港としてから四十年以上が経過する中で、神奈川県内でも絶えず米兵による犯罪が繰り返されてまいりました。 二〇〇六年一月三日には、空母キティーホークの乗組員の米兵による女性強盗殺人事件が起きました。被害者の遺族山崎さんから、犯人の米兵と米軍、そして米兵を駐留させている日本政府の責任を追及する損害賠償請求訴訟が起こされました。
ガダルカナルとかミッドウェーなどの六作戦の問題点を客観的に分析して、その共通項というと、陸軍と海軍の縦割りの問題、情報が共有できていなかった問題、これはしばしばこの中でも取り上げられて、ほかには、精神主義であるとか、曖昧な戦略目的であったとか、情実人事などがあったということで、これはどうも日本の現代の状況にも通じているところもあるのかなと思うんですけれども、改めて、ぜひこの本もお読みいただければと思
そして、そのうちミッドウェーの海戦があって、そしてサイパンもテニアンも落ちた。サイパンは、そこに行っていた日本人は、みんな崖から飛び込んで海に死んでいったんです。硫黄島のあの司令官はどういう思いで死んだか。硫黄島で死んだのに、その遺骨さえ、まだ日本軍のあの兵士たちの遺骨がなぜ完全に収容されぬのか。政府はそういうものなのかと。 そして、硫黄島が落ちて、沖縄に来ました。
要するに、珊瑚海海戦とミッドウェー海戦との間にやったのが、被害があるということを前提にしたのがアメリカ軍、被害は絶対にないと思ったのが日本軍。珊瑚海海戦では空母が同じように被害を受けたけれども、直してミッドウェーに持ってきたのがアメリカ軍、日本は全く空母がなかった。だから負けたというので、要するに、ダメージコントロール、被害がある、ダメージがあるということを前提に物事を考えていく。
要するに、ダメージコントロールという、ちょっと話が、これは資料にないですけれども、珊瑚海海戦とミッドウェー海戦の間にアメリカ軍がしたことと日本軍がしたことの違いというのはダメージコントロールということで、アメリカ軍の空母は、飛行機が飛ぶ甲板と船員が暮らす居住室との間に空間があって、その横っちょに、燃えたら、その燃えたものをブルで海に押し出す、そういう設計をしていたんです。
これはもう大臣が一番得意なところなんですけれども、ちょっと迂遠しますが、珊瑚海海戦からミッドウェー海戦という二つの海戦の間に、日本軍とアメリカ軍と何が違ったかというと、ダメージコントロールなんですね。ダメージを前提として、ダメージというのはあるんだと。ですから、空母がやられた度合いは、珊瑚海海戦では引き分けだったんですね。両方とも同じように空母がやられた。
だから、空母のダメージを最小にするための設計思想がもともとあり、そして、実際に修理をしてミッドウェー海戦に臨んだんですね。日本はもう精神論だけでしたから、当時は。もうこれは根性で頑張るんだということしかなかったので、ダメージコントロールがなかったわけです。
さて、日本本土での基地においては、アメリカの航空母艦ミッドウェーの横須賀母港化が一九七三年に行われています。これは、戦術核を搭載した艦船の常駐化、一時寄港ではなく、通過でもなく、常駐化ということを意味しておりますが、当時の政府は、これらについての基地の使用についての見直しはしませんでした。
これは何かといいますと、米国の情報公開法に基づいて合計で公文書二十四件、この公文書はそのうち二十件が米太平洋軍司令部、四件が米国務省、二件がミッドウェー司令部、一件がキティーホーク司令部等々、こういうものに基づいてこのレポートが書かれているわけなんですね。 そこで、まず防衛大臣に伺いますが、この核に係る日米共同訓練というのは今まであったんでしょうか。
それから、きのうの新聞に、中国からの大気中に水銀が入っているという記事が出ていましたし、また、数日前でしたか、アホウドリの世界的繁殖地として知られる北太平洋ミッドウェー環礁を含む北西ハワイ諸島で、東アジア地域で出されたごみが流れ着く場所なんだそうですけれども、年間約五十トンの漂着ごみが回収されているとの記事が出ておりました。
空母ミッドウェーが横須賀に母港化されるとき、外務省は何と言ったかと。当時の大河原北米局長は、アメリカ局長ですね、大河原さん、こう言っています。これは参議院の決算委員会で、おおむね三年だと、しかも母港化じゃないんだと、家族居住計画だと、こう言ってごまかして三十二年間もいまだに居座り続けていると。
それで、実は空母ミッドウェー、それから空母インディペンデンスがいたときも電波障害があったというんですね。そして、どう言っているかというと、そのとき、日航の運航本部は、社内で掲示板に張り出したり告示をして注意を呼びかけているんですね。そこまでやっているんですよ。 そういう話がやはりあって、電波妨害というのはアメリカの艦船だというのは常識なんですよ。
そのことは既に一九四一年の真珠湾でも翌年のミッドウェーでも証明済みで、大和は出番のないまま引き返し、結局最後は無謀な沖縄特攻作戦を命令されて、その沖縄にもたどり着けぬうちに乗組員三千余人の犠牲とともに撃沈されたと、こんなふうに言っているわけですね。 今の地上デジタル放送計画は、その前段階で、必要なアナログ周波数変更計画のところでまずつまずいて既に遅れを出してきました。
次に、もう一つの問題が、キティーホーク退役後の、今度の原子力空母の受け入れの問題ですが、七三年十月に空母ミッドウェーの母港化を受け入れる際、国会答弁で両三年だと言ってきました。しかし、その約束を破って、九一年にはインディペンデンス、九八年にはキティーホークと、次々と出てきているわけで、結局三十一年間、両三年の話が続いてきました。
今委員がおっしゃいました中で、三年のはずだったのがその後も延びているということをおっしゃいましたけれども、これは最初、ミッドウェーが横須賀に海外家族居住計画を置きましたときに、三年ぐらいたったらオーバーホールのために戻るであろうということを御答弁したと記憶しておりまして、三年で海外家族居住計画が終わるというようなことを申し上げたわけではないというふうに理解をしております。
ミッドウェーの母港化を進める際に、政府は、空母ミッドウェーが横須賀周辺に家族を居住させておる期間はおおむね三年と、七三年にこの参議院の決算委員会で表明したわけですね。ですから、もうアメリカに言われるままにずるずるとやってきたと、日本は何でも受け入れる国だと付け込まれるんです。