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459件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-06-01 第204回国会 衆議院 環境委員会 第13号

玉木議員 かなり、最近は結構皆さんの努力があって減ってきてはいるものの、先ほど申し上げたように遠くはミッドウェー、ハワイ、アラスカなどにも流れていて、ミッドウェーで子育てしているコアホウドリの死んだひなのおなかからカキのパイプが出てきたということもあるので、ここは是非引き続き、国としてもガイドラインなんかを出すなり、是非積極的に取り組んでいっていただきたいなと思います。  

玉木雄一郎

2020-04-28 第201回国会 衆議院 財務金融委員会 第13号

その最初の失敗が実はミッドウェー海戦であったのではないだろうか。その前の年の十二月に真珠湾、パールハーバーへ行って、それから翌年の六月ですから、まさにここが一つの分かれ目になって、そして、日本はそこからだんだんだんだん敗戦に、道をひた走っていったのではないだろうかと思っているわけであります。  

海江田万里

2020-04-28 第201回国会 衆議院 財務金融委員会 第13号

麻生国務大臣 いやあ、ミッドウェーが出てきてたまげましたけれども。ミッドウェーって知っていますか、この中の人。本当に、ほとんど知っている人、おられませんけれども。  海軍記念館に、アメリカ海軍記念館というのがアナポリスというところにあるんですけれども、あそこへ行くと、ミッドウェー海戦アメリカ敗戦ということになっているというのは御存じですか。

麻生太郎

2019-06-07 第198回国会 参議院 本会議 第24号

この乗艦した「かが」は、ミッドウェー海戦において沈没した当時の日本海軍最高レベル正規空母「加賀」と同じ名前ですが、何と両艦の長さが二百四十八メートル、ぴったり、全く一緒なんですよ。調べていてびっくりしました。防衛大臣、まさかわざと同じ寸法にしたんじゃないでしょうね、お答えください。  

白眞勲

2017-03-21 第193回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号

昭和十七年半ばから、ミッドウェーの後、ガダルカナル戦い、それと同時に東部ニューギニアポートモレスビー奪還作戦というのがありまして、私のふるさと高知の連隊を中心にした南海支隊という部隊が行って、高知だけでも三千三百名がほとんど餓死ですよ、ニューギニア東部で。ガダルカナル戦いも同じように補給が続かずに餓島と、飢餓の餓、餓島と言われましたよね。

中西哲

2015-03-10 第189回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

空母ミッドウェー横須賀を事実上の母港としてから四十年以上が経過する中で、神奈川県内でも絶えず米兵による犯罪が繰り返されてまいりました。  二〇〇六年一月三日には、空母キティーホーク乗組員米兵による女性強盗殺人事件が起きました。被害者遺族山崎さんから、犯人の米兵米軍、そして米兵を駐留させている日本政府の責任を追及する損害賠償請求訴訟が起こされました。  

畑野君枝

2013-10-28 第185回国会 衆議院 国家安全保障に関する特別委員会 第2号

ガダルカナルとかミッドウェーなどの六作戦問題点を客観的に分析して、その共通項というと、陸軍と海軍縦割りの問題、情報が共有できていなかった問題、これはしばしばこの中でも取り上げられて、ほかには、精神主義であるとか、曖昧な戦略目的であったとか、情実人事などがあったということで、これはどうも日本の現代の状況にも通じているところもあるのかなと思うんですけれども、改めて、ぜひこの本もお読みいただければと思

小池百合子

2011-12-08 第179回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号

そして、そのうちミッドウェー海戦があって、そしてサイパンもテニアンも落ちた。サイパンは、そこに行っていた日本人は、みんな崖から飛び込んで海に死んでいったんです。硫黄島のあの司令官はどういう思いで死んだか。硫黄島で死んだのに、その遺骨さえ、まだ日本軍のあの兵士たち遺骨がなぜ完全に収容されぬのか。政府はそういうものなのかと。  そして、硫黄島が落ちて、沖縄に来ました。

山内徳信

2011-07-15 第177回国会 衆議院 環境委員会 第11号

要するに、珊瑚海海戦ミッドウェー海戦との間にやったのが、被害があるということを前提にしたのがアメリカ軍被害は絶対にないと思ったのが日本軍珊瑚海海戦では空母が同じように被害を受けたけれども、直してミッドウェーに持ってきたのがアメリカ軍日本は全く空母がなかった。だから負けたというので、要するに、ダメージコントロール被害がある、ダメージがあるということを前提に物事を考えていく。

福井照

2011-05-31 第177回国会 衆議院 環境委員会 第8号

要するに、ダメージコントロールという、ちょっと話が、これは資料にないですけれども、珊瑚海海戦ミッドウェー海戦の間にアメリカ軍がしたことと日本軍がしたことの違いというのはダメージコントロールということで、アメリカ軍空母は、飛行機が飛ぶ甲板と船員が暮らす居住室との間に空間があって、その横っちょに、燃えたら、その燃えたものをブルで海に押し出す、そういう設計をしていたんです。

福井照

2011-05-11 第177回国会 衆議院 国土交通委員会 第11号

これはもう大臣が一番得意なところなんですけれども、ちょっと迂遠しますが、珊瑚海海戦からミッドウェー海戦という二つの海戦の間に、日本軍アメリカ軍と何が違ったかというと、ダメージコントロールなんですね。ダメージ前提として、ダメージというのはあるんだと。ですから、空母がやられた度合いは、珊瑚海海戦では引き分けだったんですね。両方とも同じように空母がやられた。

福井照

2010-04-02 第174回国会 衆議院 外務委員会 第9号

さて、日本本土での基地においては、アメリカ航空母艦ミッドウェー横須賀母港化が一九七三年に行われています。これは、戦術核を搭載した艦船常駐化、一時寄港ではなく、通過でもなく、常駐化ということを意味しておりますが、当時の政府は、これらについての基地の使用についての見直しはしませんでした。

我部政明

2009-07-02 第171回国会 参議院 外交防衛委員会 第23号

これは何かといいますと、米国の情報公開法に基づいて合計で公文書二十四件、この公文書はそのうち二十件が米太平洋軍司令部、四件が米国務省、二件がミッドウェー司令部、一件がキティーホーク司令部等々、こういうものに基づいてこのレポートが書かれているわけなんですね。  そこで、まず防衛大臣に伺いますが、この核に係る日米共同訓練というのは今まであったんでしょうか。

犬塚直史

2009-03-24 第171回国会 衆議院 環境委員会 第2号

それから、きのうの新聞に、中国からの大気中に水銀が入っているという記事が出ていましたし、また、数日前でしたか、アホウドリの世界的繁殖地として知られる北太平洋ミッドウェー環礁を含む北西ハワイ諸島で、東アジア地域で出されたごみが流れ着く場所なんだそうですけれども、年間約五十トンの漂着ごみが回収されているとの記事が出ておりました。

土屋品子

2006-03-07 第164回国会 参議院 予算委員会 第6号

空母ミッドウェー横須賀母港化されるとき、外務省は何と言ったかと。当時の大河原北米局長は、アメリカ局長ですね、大河原さん、こう言っています。これは参議院決算委員会で、おおむね三年だと、しかも母港化じゃないんだと、家族居住計画だと、こう言ってごまかして三十二年間もいまだに居座り続けていると。

市田忠義

2005-10-26 第163回国会 衆議院 国土交通委員会 第5号

それで、実は空母ミッドウェーそれから空母インディペンデンスがいたときも電波障害があったというんですね。そして、どう言っているかというと、そのとき、日航の運航本部は、社内で掲示板に張り出したり告示をして注意を呼びかけているんですね。そこまでやっているんですよ。  そういう話がやはりあって、電波妨害というのはアメリカ艦船だというのは常識なんですよ。

穀田恵二

2005-10-20 第163回国会 参議院 総務委員会 第3号

そのことは既に一九四一年の真珠湾でも翌年のミッドウェーでも証明済みで、大和は出番のないまま引き返し、結局最後は無謀な沖縄特攻作戦を命令されて、その沖縄にもたどり着けぬうちに乗組員三千余人の犠牲とともに撃沈されたと、こんなふうに言っているわけですね。  今の地上デジタル放送計画は、その前段階で、必要なアナログ周波数変更計画のところでまずつまずいて既に遅れを出してきました。

又市征治

2004-05-28 第159回国会 衆議院 外務委員会 第19号

次に、もう一つの問題が、キティーホーク退役後の、今度の原子力空母の受け入れの問題ですが、七三年十月に空母ミッドウェー母港化を受け入れる際、国会答弁で両三年だと言ってきました。しかし、その約束を破って、九一年にはインディペンデンス、九八年にはキティーホークと、次々と出てきているわけで、結局三十一年間、両三年の話が続いてきました。  

吉井英勝

2004-05-28 第159回国会 衆議院 外務委員会 第19号

委員がおっしゃいました中で、三年のはずだったのがその後も延びているということをおっしゃいましたけれども、これは最初ミッドウェー横須賀海外家族居住計画を置きましたときに、三年ぐらいたったらオーバーホールのために戻るであろうということを御答弁したと記憶しておりまして、三年で海外家族居住計画が終わるというようなことを申し上げたわけではないというふうに理解をしております。  

海老原紳